当事者とは「こころ」と一番向き合っている人のこと
元気ですか?!精神的に!
3月定例会の一般質問でも触れた「ひきこもりの継続支援」ですが、8日のツナガルcaféはスパシローさんによる「生きづらさを感じる全ての人に伝えたい」講座でした
※一般質問は高山市議会のHPにそろそろ動画が上がりますのでチェックしてみてね!(全部みると長いですが、中盤のいじめについてくらいから観ると物語性を感じ、社会の病理がよくわかると思います)

スパシローさんの講座は当事者性が高く、毎回人気で今回も満員御礼でした!それだけ生きづらさを感じやすい社会ということかもね。。
以下、覚書をお裾分け
(長文にて恐縮です)
苦しみは主観である。勉強について行けず、訳がわからないまま授業を受け続けるのは恥ずかしいしつらいこと。楽しいという感覚はなくなり、途方もない疲労感に襲われる。当時は不登校という概念がなく、それでも学校に行き続けるか、生きるのをやめるかの2択だった。また、精神科に対する偏見が根強く、受診するという発想すらなかった。つまり、概念も理解もない世界だったのだ。
一番辛かったのは朝で、こころのトラブルを抱えていると、とてつもなくしんどい。ダメージを喰らうのが確定するのも朝で、みんなが動き出すのも朝だ。生きることとは、ある意味、朝を越え続けること。そして、朝が来ると思うと眠れない。。
時間は残酷だ。かかってくる時間をどう埋めるのかを考え続けないといけない。世の中にはどうすることもできないことがある。でも、その経験が次の世代に活きてくることもある。
人口増加、高度経済成長の時代はお金と成果を引き換えにこころを置き去りにしてきた時代だ。その後、経済が停滞し人口減少社会となると、目の前のことをこなし続けても成果は得られず疲れ切ってしまう。やがて閉じていた蓋が開き、こころが氾濫してくる。誰が悪いわけでもなく、誰のせいでもない。ただ、時代が変わったのだ。
こころが溢れる時代には3D (脱解決、脱普通、脱思い込み)が必要となる。こころと解決はそもそも相性が悪い。こころはとてつもなく高度で簡単には解決できない。トラブルをすぐに解決しようとするから苦しくなる。こころの解決とは相手がいつ来るかわからない待ち合わせのようなものだ。その時が来たらそうなるのだから、慌てずにフワーッと過ごそう。
脱普通とは脱前例主義、脱思い込み。時代が変化しても、一般社会の価値観はまだまだ従来の普通に縛られている。が、最近、従来の普通にNOをつきつける存在が出てきた。それが若者である(ここ秀逸
)
若者はこころを求める世代だ。従来の気合・根性・我慢・努力に縛られず、コンプライアンスやハラスメント、働き方改革と親和性が高い。Youtuberや生成AIなど従来の普通が及ばない領域も広がっている。若者はこころを欲している。一方、こころのトラブルを抱えている人もこころを求めている。欲しているもの、求めているが似ているのだ。ということは、若者が生きやすい社会をつくれば、こころのトラブルを抱えている人も生きやすくなるかもしれない!(ここは目から鱗
)
新しいものを受け入れてチャレンジを寛容しよう。いろいろなことは思い込みかもしれない。これまでの常識も疑おう。
人は○を見ず×を見る習性があるが、○を見よう。○の果てにこそ○があり(これから)、×の果てに○はない(従来)
不登校やひきこもりは何故増えたのか?
昔少なかったのは、ただずっと耐えていたからだ。選択肢が増えたから、表面に溢れてきたのだ。何が正しいかわからないVUCA の時代になり、考える時間が長くなると、こころのダメージも大きくなる。そういう意味では当事者はこころと一番向き合っている人かもしれない。何かないと、人は考えない。何かあるから考えるのだ。こころとは「思い」のことである。
「思い」を拾うこと、それが「こころ」を大事にするということ
こころと解決は相性が悪い。こころの問題は難易度が高い。苦痛は主観である。解決しなくても、解消していけば苦痛は緩んでいく。解消するには成し遂げた人(当事者)と話をするのが有効です
ということで、ツナガルcaféがあるわけね


さて、東日本大震災から14年
震災も当事者性は大事。「思い」をみんなで拾いましょう。
3月15日の東日本大震災ドキュメンタリー映画&ミニトーク『ただいま、つなかん』にてお待ちしています

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3月定例会の一般質問でも触れた「ひきこもりの継続支援」ですが、8日のツナガルcaféはスパシローさんによる「生きづらさを感じる全ての人に伝えたい」講座でした

※一般質問は高山市議会のHPにそろそろ動画が上がりますのでチェックしてみてね!(全部みると長いですが、中盤のいじめについてくらいから観ると物語性を感じ、社会の病理がよくわかると思います)

スパシローさんの講座は当事者性が高く、毎回人気で今回も満員御礼でした!それだけ生きづらさを感じやすい社会ということかもね。。
以下、覚書をお裾分け

苦しみは主観である。勉強について行けず、訳がわからないまま授業を受け続けるのは恥ずかしいしつらいこと。楽しいという感覚はなくなり、途方もない疲労感に襲われる。当時は不登校という概念がなく、それでも学校に行き続けるか、生きるのをやめるかの2択だった。また、精神科に対する偏見が根強く、受診するという発想すらなかった。つまり、概念も理解もない世界だったのだ。
一番辛かったのは朝で、こころのトラブルを抱えていると、とてつもなくしんどい。ダメージを喰らうのが確定するのも朝で、みんなが動き出すのも朝だ。生きることとは、ある意味、朝を越え続けること。そして、朝が来ると思うと眠れない。。
時間は残酷だ。かかってくる時間をどう埋めるのかを考え続けないといけない。世の中にはどうすることもできないことがある。でも、その経験が次の世代に活きてくることもある。
人口増加、高度経済成長の時代はお金と成果を引き換えにこころを置き去りにしてきた時代だ。その後、経済が停滞し人口減少社会となると、目の前のことをこなし続けても成果は得られず疲れ切ってしまう。やがて閉じていた蓋が開き、こころが氾濫してくる。誰が悪いわけでもなく、誰のせいでもない。ただ、時代が変わったのだ。
こころが溢れる時代には3D (脱解決、脱普通、脱思い込み)が必要となる。こころと解決はそもそも相性が悪い。こころはとてつもなく高度で簡単には解決できない。トラブルをすぐに解決しようとするから苦しくなる。こころの解決とは相手がいつ来るかわからない待ち合わせのようなものだ。その時が来たらそうなるのだから、慌てずにフワーッと過ごそう。
脱普通とは脱前例主義、脱思い込み。時代が変化しても、一般社会の価値観はまだまだ従来の普通に縛られている。が、最近、従来の普通にNOをつきつける存在が出てきた。それが若者である(ここ秀逸

若者はこころを求める世代だ。従来の気合・根性・我慢・努力に縛られず、コンプライアンスやハラスメント、働き方改革と親和性が高い。Youtuberや生成AIなど従来の普通が及ばない領域も広がっている。若者はこころを欲している。一方、こころのトラブルを抱えている人もこころを求めている。欲しているもの、求めているが似ているのだ。ということは、若者が生きやすい社会をつくれば、こころのトラブルを抱えている人も生きやすくなるかもしれない!(ここは目から鱗

新しいものを受け入れてチャレンジを寛容しよう。いろいろなことは思い込みかもしれない。これまでの常識も疑おう。
人は○を見ず×を見る習性があるが、○を見よう。○の果てにこそ○があり(これから)、×の果てに○はない(従来)
不登校やひきこもりは何故増えたのか?
昔少なかったのは、ただずっと耐えていたからだ。選択肢が増えたから、表面に溢れてきたのだ。何が正しいかわからないVUCA の時代になり、考える時間が長くなると、こころのダメージも大きくなる。そういう意味では当事者はこころと一番向き合っている人かもしれない。何かないと、人は考えない。何かあるから考えるのだ。こころとは「思い」のことである。
「思い」を拾うこと、それが「こころ」を大事にするということ
こころと解決は相性が悪い。こころの問題は難易度が高い。苦痛は主観である。解決しなくても、解消していけば苦痛は緩んでいく。解消するには成し遂げた人(当事者)と話をするのが有効です

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さて、東日本大震災から14年
震災も当事者性は大事。「思い」をみんなで拾いましょう。
3月15日の東日本大震災ドキュメンタリー映画&ミニトーク『ただいま、つなかん』にてお待ちしています


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