失われた主語を求めて

元気ですか?!精神的に!
先日、3月1日は大垣市倫理法人会にて講話でした


テーマは『失われた主語を求めて』
以前の岐阜市倫理法人会での『精神科医がこっそり教えるThe 変態学 〜風の時代のメンタルヘルス〜』
みずほ市倫理法人会での『だから僕たちは未来を変えていける』につぐ遠征講話第3弾
自己紹介からスタートし、演劇と精神医療の親和性、精神医療とは何か、医学モデルより社会モデルへ、なぜ精神科医が社会を変えようとするのか、そもそも社会とは何か、政治で社会は変えられるのか(岐阜市の時点ではこのあたり)、そもそも政治とは何か(みずほの時点ではこのあたり)、政治の無謬性、無謬性を批判する、サディズムとマゾヒズム、The変態学
という流れ

無謬とは「誤りがないこと」で、政治の無謬性とは政治は間違わないことを前提にしているので、非を指摘された時、無意識に己(組織)の主張を守ることを優先してしまう構造のこと
失われた30年や少子化対策の結果を鑑みると、政治は無謬とはほど遠いのですが、無謬なのです
前例が通用しない、正解がないVUCA(変化・不確実・複雑・曖昧)の時代に突入し、ますます無謬は困難になっていくけどね
政治だけではなく、学校にも無謬性の病理があるのです(正しさの呪い)
そこで大切なのが批判的思考です
因みに「批判」とは哲学的には「正しく吟味する」という意味です
つまり、「無謬性を批判する」とは、「正しさを正しく吟味する」ことなので、吟味によって新たな正しさが現れます
その正しさは、また正しく吟味する必要があるので、結果、また新しい正しさが現れ続けるというドM無限ループなのです

結局、正しさにはたどり着けないということね(永遠に)
むむむ、極めてソクラテス的

市議会議員になったことで、いろいろ思考が深まるきっかけに出逢えることは、ありがたいことです
時に、大垣市ではThe変態学が聴衆に刺さったみたいで、朝食会では書籍化に向けた強力な援軍(変態の同志)にも出逢えました

乞うご期待!



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